ここはムフ帝国の神式科学法庁内秘密実験室。白髪の猊下は実験開始の時を今や遅しと待っていた。猊下は子飼いの電脳集団を缶詰状態にして、秘密裏に新種のコンピューターウィルスの開発に着手していた。地上からスカウトして来たゲームプログラマーたちは水を得た魚のように嬉々として忠勤している。太ったプログラマーbPと痩せた猊下とが感慨深げに実験の準備をしている。
「猊下。いよいよ、僕たちの研究成果が試される時がきました。僕たち電脳集団の全員がこの日を待ち続けておりました。」
「どうじゃ、bP。地上は恋しくはないのかね。お前にも地上に残してきた家族があったろう。」
「いえ、僕たちは選ばれた者の恍惚に日々浸っております。僕たちは世界征服の美名の下に皇帝陛下に忠誠を誓いました。この日の当たらない地底帝国の実験室は電脳集団にとってはまさに心安らぐ母の胎内です。誰一人として里心のつく不忠者はおりません。」
猊下は内心ではこのアキバ系電脳集団への警戒を解いてはいない。赤髪の美少女皇帝に忠誠を尽くしている彼らの陛下を見つめる視線にどこか不純なものを感じているからである。先日、bTを中心とした数名が皇帝陛下を模した美少女ゲームを密かに作っていたのを発見し、開発中止をさせたばかりだった。その件以来、彼らの仕事の能率が三十パーセントほど落ちてしまったが、猊下としては見過ごすわけにはいかなかったのである。bPはウィルスの説明を始めた。
「地上世界の遊興施設、通称パチンコ屋を攪乱するというのがbWの原案でした。パチンコと呼ばれる機械のコンピューターにウィルスを侵入させて、常に大当たりとなるように確率を操作する。これによってパチンコ業界に慢性的な赤字を背負わせ、倒産に追い込む。庶民は予想外の出玉に湧くでしょうが、胴元が破産すれば業界自体が消滅します。日常の娯楽を失い、日々の活力が低下するは必定。また、これによってパチンコジャンキーを撲滅し、いわゆるパチンコ孤児を救うという二次効果も望めると注進すれば、慈悲深い皇帝の御意を得やすい。」
猊下は頼もしく成長したbPの説明を好々爺然として聞いている。bPは紅潮した頬を輝かせて次の説明にはいる。目の前の空間ディスプレイにはプレゼンス用のチャート表が出現した。
「しかし、ここで問題が発生したのはパチスロ台のコンピューターが全てオンライン化しているわけではないと言う現状でした。これではウィルスが感染するルートがない。工作員たちにパチスロ台ごとにロムを差し替えるという隠密行動をさせましたが、パチンコ屋自体のガードも堅く、思ったような成果が上がらないことを発見し、全面的に方向を修正しました。パチンコやパチスロといったものではなく、ギャンブル性の低いテレビゲームを標的に変えたのです。中でも我々が目をつけたのはパソゲー、オンラインゲームです。多くのゲームはソード&ソーサリー、すなわち剣と魔法の世界をベースとした正邪の攻防をベースにしています。このウィルスソフトは一度感染しても症状はすぐには出ないものですから、ラストステージまで絶対に発覚しません。しかし、ラスボスのパワーが異常に上がって主人公を徹底的に叩きのめしメモリーを全て消去してしまう、ゲーマー泣かせのウィルスなのです。これに感染したゲームは絶対にクリアできなくなってしまいます。ゲームクリアという概念のないロープレであっても突然、敵側のモンスターのパワーがマックスとなり、主人公が敗れてしまいますので、それ以上はゲームを進めることができなくなるのです。」
「シュミレーション。bTが好むらしい恋愛シュミレーションなるゲームの場合はどうなってしまうのか。」
「恋人が悲惨な死遂げトラウマを残すようなゲームエンドとなります。このウィルスはコンピューター側のプログラムに巣くうものですから、どんなゲームを行ってもサドンデス状態を引き起こします。コンシューマー機もオンラインしてあれば、それで感染してしまいます。ウィルス対策ソフトでプロテクトしてあろうとその対策ソフトそのものを取り込んで新種へと自己変化を成し遂げます。対策ソフト自体がバンパイヤと化していることにユーザーは気がつきもしないでしょう。ファイヤーウォールを擦り抜け、ワクチンファイルを同化吸収し、それすらも偽装する。自己修復、自己増殖の可能なデビル型ウイルスです。ひとたびネットに蔓延すれば駆除は不可能。世界中のゲーマーたちは暗黒のゲーム地獄から抜け出せなくなります。」
bPの卑屈な笑みに、旋律を感じつつも猊下は満足そうに指令を下した。
「ふふふ。ではその実験を始めてみよ。」
「では、このウィルスをオンラインに流します。」
bPの指がスイッチに触れようとした時、轟音とともに実験室のドアがぶち破られた。観音開きの大きな扉が左右に吹き飛んだ。コンピューターが一斉にダウンして、飛び交う火花とともに赤い警告灯が回り始める。bPと猊下は頭を抱えてうずくまる。白煙の彼方から真っ赤な髪の毛とマントを優雅に翻して、ムフ帝国皇帝が現れて、叫んだ。
「待て。」
真っ赤なミニのスカートに生足という出で立ちの皇帝は手に持った錫杖でどんと床を突いた。
「朕はこのような実験の許可を与えてはおらぬぞ。」
猊下は蛙のようにはいつくばる。水戸黄門に出てくる悪代官のようだ。
「かようなむさ苦しいところへわざわざお越しくださるとは。」
両目をハートマークにして忘我していたbPも我に返って平伏する。皇帝がつかつかと前に出ると、後に続く女官たちが玉座をしずしずと運び、部屋の中央に据える。皇帝は優雅に玉座に着いた。陛下は思春期特有の甲高い声で続けた。
「話はすべて聞いたぞ。母なる海に毒薬を流すに等しい実験など私が許さない。」
「陛下。しかし、これは最強最悪のコンピューターウィルスでござります。ゲームに毒された人間どもの迷妄を破る、特効薬ともなるやもしれませんぞ。どうぞ、お許しを。」
「許さぬ。ゲームに毒された者はその者の心がけが悪いのじゃ。決してゲームが悪いのではない。ゲーム好きがすべてゲーマーなわけでも、ゲーマーがすべてゲームオタクなわけでもない。ゲームオタクそのものが悪いというわけでもない。朕は子供の夢を奪うような兵器開発を命じた覚えは断じてない。」
恐れ入った猊下は額を床に擦り付ける。皇帝はbPに目を移して優しい微笑みを浮かべた。
「bPよ。お前たちが地上世界で差別された存在であったことは朕も聞き及んでいるぞ。だが、そのことを逆恨みして、己自身が嘗て愛したゲームそのものを葬るようなウィルスを作ることが、果たしてお前の本意なのか。どうじゃ。悪いのはゲームだったのか。生身の人間たちとの交流に背を向けたお前自身の弱き心ではなかったのか。思い出せ。bPよ。初めてゲームをした時の喜びを。」
bPの脳裏に駄菓子屋の軒先に置いてあったゲーム機に百円玉を握りしめて並んだ少年の日々が鮮やかに蘇っていた。慈悲あふれる皇帝の言葉にbPは号泣する。控えの部屋から立ち聞きしていたらしい電脳集団のメンバーたちがぞろぞろと出てきた。めそめそと泣きながら、皇帝の足下に平伏する。皇帝は気味の悪い生き物を見るような目つきで電脳集団を見下ろし、少し引いたが、凛々しくも踏みとどまった。
「よいか。者ども、地上奪回は我がムフ帝国の宿願である。改めてお前たちに朕の命令を伝える。ムフ帝国のプロパガンダを募るソフトを開発し地上世界に広めよ。主役のキャラには朕を使ってよいぞ。」
bTが皇帝陛下万歳を叫び、電脳集団は感激と武者震いふるえた。猊下だけが相変わらず苦い表情を浮かべていた。
半年後、ゲームショップの店頭には赤い髪の美少女を主役とした恋愛シュミレーションゲームが並び、若者が長蛇の列を作った。ついにムフ帝国の地上侵攻が開始され、緒戦の大勝利にムフ帝国は湧いた。
恐るべきムフ帝国の科学陣の次なる作戦は何か。世界は知らぬ間にムフ帝国に侵略されつつあったのである。