玉座の間の大扉が重々しく開いた。白髪白髭の猊下がにぎにぎしく参上し、ムフ帝国皇帝の前に跪く。地上のモード雑誌をめくっていた美少女皇帝は興味のない顔つきで、ほとんど猊下を無視している。太平洋の海底地下数千メートルに存在するムフ帝国の王宮には、常にまったりとした雰囲気が濃密に漂っている。
「皇帝陛下、お喜びください。新兵器がついに完成いたしました。」
皇帝は地上世界でいえばローティーンと見てよい年齢であり、内心では地上世界奪還の野望が薄いのか、お付きのお小姓を相手にひそひそ話をして、猊下に耳を貸そうとしない。猊下は顔を上げると、恭しく小さな携帯電話を差し出した。
「これでございます。名付けて携帯バスター。」
「それは今地上の人間どもが老いも若きも持ち歩くという携帯電話というものではないのか。どれ、朕に見せよ。」
皇帝も地上世界の流行に興味があるのか、早速、小姓に命じて、猊下からその携帯電話のような物を受け取らせた。手に取ってみると二つ折れになっているが、広げてみればグラビア記事で見た次世代型の携帯電話そのものである。
「ほほう。動画も見られるのか。テレビ電話対応型のビデオシーバーか。」
荘重な和音で伊福部昭調の着メロが流れると、皇帝は慣れた手つきで着信し耳に当てた。玉座の下で猊下が何かの機械を操作している。
「朕じゃ。申せ。」
「皇帝陛下。恐れ入ります。」
猊下のしゃがれ声が聞こえた瞬間、皇帝の視界はゆがみ、奈落の底に落ちていくような錯覚を覚えた。携帯電話を投げ捨てると、皇帝は烈火のごとく怒り、立ち上がった。不安定な足取りに、肩のところできれいに切りそろえた赤い髪がサラサラと燃えているかのように揺れた。
「無礼者め。そちは今、朕に何をしたのだ。」
蛙のように這い蹲った猊下は脂汗を流して、平伏する。
「恐れ入りまする。ご無礼を承知で陛下にこの携帯バスターの力をお見せいたしたのです。どうか、ご無礼をお許しくだされ。」
「なんだったのだ。今のは。」
「陛下が召されたのは、地上で流布する携帯電話というものです。昨日、アキハバラというところで工作員403号が購入してきた最新型のものです。携帯バスターはこれ、この私が今、手にしている機械でございます。」
猊下はハンディ体脂肪計くらいの大きさのマシンを頭上に掲げた。
「この携帯バスターは地上に流布する携帯電話に特殊電波を送信する機械でございます。この電話を受けた人間はみな一瞬にして視覚に異常を来します。無論、一瞬であって後遺症も痕跡も残りません。」
「確かに朕も目が眩んだ。しかし、一瞬だった。これがどれほどの効果を上げるというのだ。」
「地上は車社会でございます。しかも、車の運転中に携帯電話を使うマナー知らずの運転手が多ございます。そのような輩が一瞬にして視覚に異常を来せば地上は大混乱。地上軍の戦闘機乗りと言えども、戦闘中に突然視覚を奪われればいかがなことになりましょう。また、かねて懸案である海底の軍艦に対しても、乗組員どもの目と耳をふさいでしまえばなんの恐れがありましょう。」
「おもしろい。その装置、試してみるがよい。」
一週間がたったが、一向に地上で争乱が起きているという情報が寄せられない。実験、十日目に403号から待望の通信があった。
「403号より携帯バスターの実験報告。日本国の首都高速道路で実験を行ったが、効果的な騒乱は未だに起こっていない。地上人類はタフでありアバウトに日々を生きている。そもそも運転手たちには脇見運転や居眠り運転の常習者が多く、しかも慢性疲労者が多い。少しの刺激や目眩では事故などおこさない。また、被験地とした首都高速道路は常に渋滞が続き、車速が遅いために携帯バスターで視覚を一瞬奪ったところで、大事故には繋がらなかった模様である。またパイロットや軍人は飛行中や任務中に携帯電話を使用することはない。携帯バスター作戦に関しては再考慮が必要と思われる。」
ムフ帝国の地上侵攻は頓挫した。しかし、地上人類よ、安心してはいけない。恐るべきムフ帝国の科学陣は新たな兵器の開発に着手しているのである。