母校の小学校に赴任してから、四年。自分の頃は一学年六学級もあったのに、現在は少子化が進んで二学級しかないので、使われていない教室も多い。放課後の見回りで、使用されていない下足ロッカーの前でふと足を止めた。金曜日の放課後か。小学四年生頃にクラスメイトの目を盗んで交換日記をしていたのを思い出して、柄にもなく赤くなった。秘密の交換場所は当時も何故か使われていなかった、昇降口の下足ロッカーの一番下の段。右から何番目だったかも忘れてしまった。このロッカーそのものも来月には撤去されることになっている。心当てにその小さな木製のふたを開けて、中を探ってみる。何か入っている。青いノート。
「先生。日直、ご苦労様です。」
ふいに背後から声をかけられ、あわててノートを小脇に隠した。古紙の束を抱えた、今年転勤してきたばかりの事務室の女の子である。分厚い眼鏡越しの視線を避けて、その場からそそくさと逃げ出した。
まったく。子どもというものは今も昔も変わらず無邪気なものである。今の子どもたちも自分が子どもの時と同じようなことをしているらしい。気が引けたけれども、これも生徒指導の一環だと自分を納得させて、誰もいない職員室でノートを広げてみた。
驚いた。これは自分たちの交換ノートではないか。何故、こんなものが今時、あの場所に入っていたのか。お互いを「タツヤ」と「ミナミ」と呼び合っている。これは自分たちだけの秘密のペンネームだ。「ミナミ」は確か、ふいに転校してしまい、それっきりになってしまったような気がする。そのためかノートの所在も記憶に定かではない。そもそも町自体が企業城下町だった関係で、やたらと転校の多い小学校だった。自分自身も六年生の途中で転校している。それにしても彼女の場合は突然だった。「ミナミ」が転校するという噂が立ったので、そのことを交換ノートに書いた記憶がある。
○月○日 私が転校するなんてだれが言ったの。お母さんはお引っ越しはしないっていってたわよ。(ミナミ)
○月○日 お父さんも転校なんてするはずがないって言っています(ミナミ)。
○月○日 お父さんとお母さんに怒られてしまいました。しつこく転校するのってきいたから。だから、もうお引っ越しの話はしないでください。(ミナミ)
○月○日 おばあちゃんもうちは引っ越しなんてしないって言ってた。(ミナミ)
随分、何度も否定している。彼女自身もよほど転校はしたくなかったようだ。でも、彼女はある日突然、自分たちの前からいなくなってしまった。
それよりもミステリアスなのは十六年ぶりに忽然と出現したこのノートである。生涯に一度、奇跡と言うものが起こるとしたら、今がその時なのかもしれない。このノートを通じて過去の「ミナミ」と通信が出来るのかもしれない。そんな夢をたまに見てもよいのかもしれないと自分を納得させた。思い切って、一行だけノートに書き足した。ロマンチストである自分は、ノートをロッカーに戻しておくことにした。
○月○日 でも、ミナミん家は引っ越してしまいましたね。君は今どこにいるの。(タツヤ)