永久図書館


  視界が開けた。真一が心配そうにのぞき込んでいる。働き疲れたサラリーマンと言った面持ちだな。

 「真一か。何のようだい。」

 怪訝な顔をして、手元の端末をいじって確認してから、

 「マスター。真一……真一さんとは多分、僕の五十四代前の先祖のことです。僕は山本サーシン陳ソゴルマスタージェン。マスターを一世とすると僕は三百十六世になります。今は西暦でいうと五千一年です。」

 「そうか。記憶の混乱か。それともチップが老朽化したか。」

 「そうなんです。マスター。」

 「その、マスターという呼び方は止めてくれ。おじいちゃんでけっこう。」

 サーシンは照れくさそうにもじもじした後で、

 「真之介おじいさん。そのことでご相談なのです。おじいさんは、エターナルライブラリ計画の名誉ある第一世代です。元々は人間の脳の記憶をすべて大容量ディスクにコピーして保存するプロジェクトでしたが、その勇気ある第一世代がおじいさんたちでした。やがてハードの進歩により、ディスクのマイクロチップ化が成功して、人間の記憶は大きさ三ミリ四方、薄さ〇・五ミリの極小チップにセーブできるようになりました。」

 「ふん。わざわざお前に復習してもらわなくても、私はぼけちゃいないよ。私の脳の働きはディスクに移した五十二歳の時のままなんだから。」

 肉体はその後千年間は保存されて、希望すれば自分の肉体に記憶を、すなわち意識を戻すことも可能だったが、保存場所に困るというので千年か前に既に処分してしまった。その気になればどんな肉体でもレンタルできる。容姿も年齢も性別も自由自在に選べてしまう。人間以外の生物の肉体であろうと、ロボットの肉体であろうと可能なのだ。それ故に外見やオリジナルの肉体にこだわっても仕方がないのである。

 普段の私はこのエターナルライブラリカンパニーの閉架図書保管庫で眠る一個のチップに過ぎない。誰かがチップを取り出して、閲覧してくれたときに意識が目覚めるわけだ。気まぐれな子孫でもいない限り、過去の記憶と話をしようなんてやつはいない。私は自分の意思で目覚めることは出来ないがその必要もない。私はもう三千年も生きているのだから。既に三千年前でさえ、あらゆる欲望が電磁波によって満たされていた。だから積極的に目覚めている必要もないのだ。眠っている時はいつも一瞬である。前に目覚めてから八百年もたっている。しかし、ついさっき真一と話したばかりのように私の記憶は鮮明だ。チップの保管庫には自動レストア装置が付いているからだろうか。確か十五年に一度はブラッシュアップされるはずである。

 「今度、チップのマイクロ化とデータの圧縮技術が革新的に向上しましてね。今までの旧式チップの更に百分の一の大きさになるんです。閉架図書のスペースの問題もあって、データの書き換えが義務づけられたんです。そのために一人一人の了解を取っているんです。今後は一軒家からマンションに住み替えてもらうというわけです。私が管理しているデータは四十万人分ですので、了解をとる作業も、けっこう大変なんです。おじいさんは書き換えに同意してくれますか。」

 「今、地球の人口は何人だ。」

 「オリジナルの肉体と意思が合致している生物の人間としては一万人くらいですかねぇ。現在の地球環境での、生命体の維持はこのくらいが限度なんですよ。人間以外の動植物はほとんどDNA保存の状態ですし………。」

 「すると残りの人間は。」

 「四千八百億人がチップとなって眠り続けています。」

 地球は巨大な墓場と化しているということか。三千年前でも肉体を捨てて、自らをチップとするということは一種の自殺ではないかと社会問題になっていた。しかし、今はそれどころではないらしい。今、地球で生きているのは墓守となったわずかな人間だけなのだろう。

 「僕も早くチップになりたいんですけどね。生身の体は苦労も多いですよ。今日中に二千人のご先祖様と交渉しなくてはならないので、時間があまりないんです。書き換えに同意してくれますか。」

 「やめてくれ。これ以上長生きしたって始まらない。抹消してくれて結構だよ。」

 サーシンはにっこりと営業的な笑みを見せた。少しでも管理するデータ量を減らしたいのだろう。死ぬことはちょっとの間、眠ることだといったのは誰だったか。本当に死ぬこととは、どうなってしまうことなのか……。いや、そんなことよりも私はこの三千年もの間、生きていたと言えるのだろうか。

 「承知しました。抹消いたします。おじいさん、さようなら。」

 終わり