緑の爆弾


 ムフ帝国の鳥型飛行物体に搭乗したムフ帝国皇帝は広がる緑の大地を見下ろして感慨深げに呟いた。直接地上世界にでるのは十歳の戴冠式以来なので、五年ぶりである。十五歳でありながらも堂々とした女帝ぶりをみせるムフ帝国皇帝であった。黄金のマントに身を包み、黄金の玉座に深々と腰掛けている。

 「これが我がムフ帝国の所領だったのか。これらすべてが。」

 足下に這い蹲った猊下が恐る恐る顔を上げて、御意を得たりという表情を見せる。

 「皇帝陛下。これは広い湿原ではござりますが、大陸にはもっともっと大きな、水平線の東から西までがすべて緑に覆われた草原もござります。元を正せば地上の大地すべては我がムフ帝国の植民地でござりました故に。」

 「長らく地熱還元光しか浴びておらなかった。大地に注ぐ太陽とやらの光も眩しい。紫外線によるシミそばかすが心配じゃ。猊下。実験は手早くすませよ。」

 地上侵略の野望、もとい地上奪還の希望に燃える海底帝国ムフの兵器開発を一手に引き受けていた猊下であったが、このところ有効な発明品がなく引退説が流れる始末。それを一掃しようと開発した新兵器の実験に、皇帝自らを引きずり出すことができたのは彼にとってはまたとない光栄であり好機であったろう。皇帝としては久しぶりの地上を満喫したかったのだが立場上、シブヤへ行けとも言えず、猊下の実験に渋々つきあっている。

 ムフ帝国の鳥型飛行物体とは翼を広げたトンビの形をした飛行機械である。動力は地熱を利用した小型の反重力反発装置で無公害エネルギーの産物。そもそも海底の地下に生息するムフ帝国人は環境には敏感である。限られた空気をいかに清潔に保つか、資源を有効に使うかにはことのほか注意を払っているのだ。クリーンエネルギーの開発にかけては文字通り地上文明の遙か先を行っていると言ってよい。鳥型飛行物体は釧路湿原から一路、札幌を目指して南下する。札幌時計台前付近に到着すると遙か高空で旋回する。

 猊下は手に持った試験管の中の透明な液体を慎重に皇帝の前に差し出した。美少女皇帝は露骨に疑り深そうな顔で、手に取ろうともしない。

 「じい。説明は手際よういたせ。」

 「はは。私めが取り出したのは緑の爆弾と呼ぶべきものでござります。驚異の植物成長促進剤であります。砂漠化した大地もこれさえあればたちどころに密林のジャングルとなるのでござります。あいや、しばらく。この結構なエコロジカルな薬剤が何故に破壊兵器として利用価値があるかとの疑問にござりましょう。それはこの爆発的な成長促進の効果にあります。通常の二千倍のスピードで植物の成長を促すのでござります。しからばハイスピード撮影でしかご覧になられなかった朝顔の開花や蔓の生長が目にもとまらぬスピードで……。」

 「朕は文系じゃ。理科の実験は好かぬ。」

 「コンクリートの床やアスファルトの道路を草の芽や根が割って成長するのを陛下もご存じでござりましょう。あのパワーを瞬時に植物が解放したのならば、地上は大混乱。一瞬にして地上の文明は破壊されるは必定。ムフフフ。ではこの試薬を早速に地上へ。」

 「待て。じい。私は戦の道具の開発は許可しているが、無辜の民への殺戮兵器は許可してはおらぬぞ。ムフ帝国の力を誇示できればそれでよいのじゃ。」

 「またまた、陛下。お優しい言葉を。地上の愚民どもに情けは無用でござりまする。下手な情けをかけているうちにこ奴らは地上の環境を破壊しつくし、我々の地下資源をも脅かしているではござりませぬか。先ずは実験。実験でござりまするよ。科学班。投下せよ。」

 手回し式の窓を開けると命綱をつけた科学班の一人が決死の覚悟で身を乗り出し、試験管を落下させる。試薬は予定通りに公園の中央の石畳をめがけて落ちていく。モニターを監視していた科学班の一人が叫んだ。

 「目標地点に落下確認。破裂しました。しかし、状況に変化なし。モニターをスロー再生します。」

 スロー再生の画面を見ながら、猊下が頭を抱えて膝を折った。

 「しまった。成長スピードが速すぎて細胞壁が耐えきれなかったのじゃ。一瞬にして植物細胞そのものが破壊されてしまったのか………。これでは、……無公害の除草剤と同じじゃ。」

 皇帝は玉座で腹を抱えて笑っている。

 「じい。よい座興じゃ。これより舟をシブヤへ向けよ。朕自らが地上を偵察いたすぞ。よいな。」

 皇帝は黄金のマントをかなぐり捨てる。下には既にシブヤ系のギャルズファッション。彼女の緋色の髪もシブヤの街に融けて、目立つこともないだろう。お付きの女官たちも一斉に喚声を上げてミニスカート姿に変身。猊下の苦悶がますます広がっていく。

 

 ムフ帝国の地上侵攻は頓挫した。しかし、地上人類よ、安心してはいけない。恐るべきムフ帝国の科学陣は新たな兵器の開発に着手しているのである。

終わり