ラストカット2


 短い夏が終わり、僕は大学に戻った。就職をあきらめた助監督の久保田は冒険の旅に出るといったまま八月から行方不明になった。要領よく、大手の銀行に就職が内定した滝は九月になってもバイト三昧である。就職活動で四月から会社訪問を繰り返している記録兼美術の千文もめっきりサークルには顔を出さなくなった。宮沢は飲み屋で知り合ったとか言う新しい彼女と学内を歩いている姿を見かけた。 有紀は映画に出ていた頃のショートヘアをやめて、今では長い髪を巻き毛にしている。あれから何人も男を変えているという噂を聞いた。

 学祭が近づいたので、サークルの後輩たちは映画の仕上げに大忙しだった。が、我々は就職が決まらないだけで、一向に暇ではあった。文学部の根岸だけが卒論に追われてはいたが。学祭の当日、最初で最後になるかも知れない「夕桜の下」の上映会の時間がきた。有紀も千文も久しぶりに笑顔で顔を見せたが、肝心のフィルムを持った宮沢が時間を過ぎても来なかった。宮沢が学祭に来る途中に車で事故を起こしたことを知ったのは、それから三日後だった。幸い、怪我をしたのは宮沢くらいで、同乗していた新しい彼女は軽傷で済んだらしい。しかし、彼女は一度も宮沢の見舞いには来なかったようだった。車の座席に乗せていた「夕桜の下」でのフィルムは事故で、行方知れずになってしまった。たぶん、車が廃車になるくらいの事故だったので、車と一緒に処分されたのだろう。

 宮沢を見舞いに行った帰りに、病院のロビーで有紀とすれ違った。有紀は僕と千文には気がつかなかったようだった。宮沢は一ヶ月後に退院したが、撮影に使っていた彼のカメラや映写機をすべて売ってしまっていた。事故の後始末に現金が必要だったからだと話していたが、映画会社への就職を諦めたことへのあいつなりのケジメであったようだ。

 慌ただしく、大学生活最後の冬が過ぎようとしていた。宮沢は卒業後、家業の建築事務所の仕事を手伝う決心をしたようだ。左頬に傷が残り、性格もすっかり大人びてしまった。学校で出くわすことがあっても、映画の話もろくにしなかった。根岸は卒論を提出できなかったので、留年が決定してしまい、前田と同級生に戻ってしまった。滝は雪山で足を折って病院で年を越し、有紀と千文は卒業旅行でグアムへ。久保田は八月以来音信不通のままだったが、彼からエアメールの年賀状が届いたのは一月の末になってからだった。今、ベトナムにいるのだが、卒業式までに帰れないかも知れないとのことだった。僕は地元の教員採用試験には落ちてしまったけれど、実家の近くで塾の講師として就職することになったので、卒業を前にアパートを引き払って帰郷した。

 卒業式に顔を出すためだけに大学へ戻った。学科の謝恩会までは間があったので、ロケ場所になった公園に行ってみた。快晴の夕方である。去年以上に桜は満開だった。両手の人差し指と親指でファインダーの形を作って、去年と同じ構図を取ってみた。桜をバックにした有紀のバストショットの構図だ。あの時の有紀の演技は「せつなさ」よりも、時間に追われている「あせり」だけがでていたような気がする。感傷に浸っていると、指のファインダーの中に有紀が現れた。

 去年と同じショートヘアに去年と同じ衣装を着けて、桜吹雪の中に佇んでいた。あわてて、体を起こしたら、隣に立っていた根岸と前田に気が付いた。日に焼けて真っ黒になった久保田も太くなった両腕を組んで笑っている。宮沢が僕の肩に手を置いて頷いた。「約束だったよな。ラストカットのリテイクだ。こいつでな。」宮沢は両手でファインダーを作って、身構えた。スクリプターの千文が緊張する。助監督の前田が大きな声を出す。「よーい。スタート。」僕たちはそれぞれのファインダーの中で、僕たちのヒロインが見せる切なくて愛くるしい表情を胸に焼き付けた。宮沢が「カット。」の声をかける。しばしの沈黙。続く「OK。」の声に一瞬の緊張がとけた。千文が真っ先に拍手する。僕たちはスタンディングオベーションで、ラストカットを祝福した。スタッフたちを夕桜が優しく見下ろしていた。

終わり